くじら、無数の穴の開いたくじら、100も1000もある穴の開いたくじらが
浜に打ち上げられている。島の人たちはこんなことを見るのは慣れていて
以前、「苛め抜かれた体を制するのは誰か」という内容の無い映画を作ったり
するほどなので、島民は異常なのである。つまり、このくじらを見てもある一種の
興味対象にすらならないで、それは浜辺のオブジェ。京都では
新しいタイプのオブジェだとも思っていない。考えているのは穴を見て
穴蔵、穴熊、クリスピーなどに思いを巡らせているだけの島民たちであるのだ。
夕暮れには子供たちのほとんどが家に帰るが、20人くらいは、みんな裸足で
くじらの腹を蹴り続けている。そしてそれは朝まで続く。
時間が止まったのはちょうど朝の5時19分で、つまり20人の子供たちが蹴るのを
一斉にやめたのである。不思議なのはそのとき、くじらの穴からなんとも言えぬ
匂いを放つ液体が垂れていたのに、それにすら誰も興味を示さなくなったことだ。
青色が上の方の穴から、白色は中ぐらいから、下の穴からは子供たちが言うには
「こんしきかな」という感じらしいが、全てはまったくの嘘かもしれない。
くじらはもうこんな世界は嫌だということをその体を持って示す。

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